前回、子どもの水ぼうそう感染で残念ながら手術が延期になったことを書きました。
今回はその後、手術が決まるまでの気持ちから手術後までを書きたいと思います。
目次
退院後
手術の延期が決まり、退院し、子どもたちとの日常がまた始まりました。
子どもたちの前では笑っていたつもりでしたが、4年生になる長男はこちらの様子を察したのでしょう。
心配して気持ちが張り詰めているようでした。
申し訳ないと思いながらも、私もなかなか気持ちの切り替えができませんでした。
ようやくたどり着いた手術でしたから。
また振出しに戻ったのだと思うと何とも言えない気持ちになりました。
そして何よりも転移の心配をぬぐえません。
前回キャンセルになってから手術が決まるまで、気持ち的には本当にしんどかった。
自分は死んでもいいと思えるけれど、周りの状況を考えると死んでる場合ではない。
転移したらどうしよう。手術後に再発したらどうしよう・・・。
眠れない、辛い日々が続きました。
主治医の先生から何度か電話をいただき、再建も含めると形成外科の先生との調整が必要なので、手術は年末になりそうとのことでした。
年末。
クリスマスにお正月。
万が一、術後の経過が悪ければ病院で年を越すことになるかもしれない。
子どもたちやその世話を負担する夫と義両親のことを考えると、その時期は避けたい。
だからと言って、年明けまで待つのは正直しんどい。
一刻も早くガンを体から取り除いてほしい。
再建しなければもう少し早くなるとのことでしたが、それでも1、2週間ほどの違いでした。
どうする?どうする??
しばらくは頭の中でグルグルとこの言葉が回っていました。
夫とも話をしましたが、なかなか結論は出ません。
どうしたいの?と聞かれても「わからない」としか出ませんでした。
だって、フタを開けてみないとどうなるか誰にもわからない。
自分の気持ちでさえ。
当然ですよね。
こうなるともう、ただ覚悟の問題なのです。
手術日決定
そうこうしているうちに、先生からまた一本の電話が。
「12月上旬の手術にキャンセルが出ました。再建なしの全摘手術のみであればその日に入れられます。」
これで腹が決まりました。
一応、一旦電話を切って夫と義両親に連絡をしました。
でも相談ではなく、「この日に入院、手術をしてもいいですか?」と確認をしました。
・出来るだけ早くガンを取り除く
・子どもの冬休み、クリスマスやお正月までに退院できる可能性が高い
という私の条件を満たしていましたから、気持ちが揺れていた「再建」についてはその時点で諦めがつきました。
そして、改めて一次再建なしの全摘手術の日が決定したのです。
入院
今回は何があっても他人に移す心配をしなくていいように、個室をお願いしていました。
前回のことがあるまでは特に気になりませんでしたが、気が付かないまま私が妊婦さんに感染症を移すリスクがあるのだと思うだけで怖かったのです。
二度目の入院の日がやってきました。
今回も夫が送ってくれましたが、やはりコロナの関係で病棟には入れず、エレベーターを降りたところからは1人。
手術前後も誰にも会えず、手術の付き添いもできません。
でも私の場合は心細いとか怖いとかよりも、悪いものを取ってもらえる安堵の方が大きかったです。
それに、子どもたちのお世話やその他家事、仕事のことも考えず、ご飯も勝手に出てきて好きなことをして過ごせる1人時間がたっぷりあるなんてある意味、夢のような時間。(笑)
とにかく楽しもうと、本をたくさん持ち込んでいました。
結局そんなに読まずに、スマホゲームをしたりAmazon Primeで映画を見たりしている時間が多かったですが(^^;
私、「しんどい時は無理をせず」、がモットーですから。
手術
手術日前日
手術前日の午後に入院しました。
荷物を整えて、さあゆっくり!という暇もなく、看護師さんたちが入れ代わり立ち代わり、説明だの書類記入だの、体温や血圧測定だのに来られ、なかなか忙しくあっという間に過ぎて行きました。
夕方からは下剤を飲んだりスポーツドリンク的なものを朝までに飲むように指示があったり。
また、エコーで術部の確認と、センチネルリンパ生検のための薬剤の注入もありました。
手術日
朝から手術着に着替えて運ばれて行きます。
私が初めて手術をしたのは双子の妊娠初期。双子は早産しやすく、さらにMockは2人目の次男くんの出産が若干早産だったので、念のために子宮口の入口をヒモで縛るという手術を受けました。
(原始的!(笑))
それでも双子出産も早産となり、緊急帝王切開となったので手術は今回で3回目。
医療ドラマに出てくる手術室の薄暗い緊迫した雰囲気とは違い、真っ白で照明がものすごく明るい広い部屋。
先生、看護師さんや麻酔技師さんなどたくさんの人がバタバタと忙しそうに動いていらっしゃることにも驚きません!
ですが、前の2回は下半身麻酔。今回は初めての全身麻酔です。ちょっとドキドキ。
手術室に入ったタイミングで、心の中で左胸さんに、母乳を出して子どもたちを元気に育ててくれた感謝の気持ちを伝えておりました。
本当に、十分すぎるほどその役目を果たしてくれました!
ありがと~!!
「では薬入れますね~」
と点滴の針を刺され。
痛い~!!!!!
薬が入るタイミングでなんかめちゃくちゃ痛かったんです!
本当に我慢できないぐらい!
横で看護師さんが腕を優しくなでてくれていたので、痛いのが普通なのでしょうか。
今となってはわかりません。
しかし幸い、痛いと思ったのもつかの間、薬が入るとすぐに意識を失いました。
先生に声をかけられ目が覚めると、まだ手術室でした。
真っ白い壁にまぶしいほど明るい照明。バタバタと小走りに動き回る人たち。
意識を失う前とまったく同じ景色です。
でも手術は終わってた。
あっという間に寝て、目覚めるともう終わってる。
すごいものだなぁと感心しました!
術後
その日は体にジャラジャラといろんなものが取り付けられ身動きが取れませんでした。
足には着圧ソックスを履いた上から血流を促すためのポンプみたいなものを装着され、一晩中シュポシュポ言っていました。
手術した左わき腹からは、体液を排出するための管が出ていて、トイレにも行けないので尿道からも管が出ていて・・・。
そして翌朝まで水も飲めません。
これまでに二度の手術を経験したMock。
初めての時は妊娠していたこともあり術後、仰向けに寝たままほぼ動けないことがめちゃくちゃしんどく、つらくて辛くてほとんど眠れませんでした。
2回目の時はしんどいものだと覚悟していたからか、お腹の子が出てしまっていたのもあったのか、ほとんど辛いと感じることなく過ごせました。
(実際、双子がお腹にいると日々の生活が本当にきつかったのでね💦)
で、今回は・・・またまためちゃくちゃしんどかったのです。(泣)
腰や背中が痛くて、寝返りするにも傷は痛いしわき腹からの管が気になるし。
看護師さんに相談するとクッションだったり布団だったり、挟んでちょっと態勢を変えられるようなものを持って来てくれるのですが、残念ながらこの時はうまく役に立ちませんでした。
痛さに耐え、眠れぬ夜を超えて、やっとのことで翌朝お水を飲む許可をいただき、その日にすぐに歩く練習が始まります。
歩けるようになると管類も少しずつ取れて行き、だんだんと回復していくのでした。
退院の目安は、排出される体液が減っていき、術部周辺にも溜まっていないことだそうです。
幸い、Mockは3、4日で規定の量を下回るようになりました。
週末には先生に、
「順調なのでおうちが気になるなら月曜日にでも退院できますよ?」
と言ってもらいましたが、傷もまだまだすごいし、帰れば当然子どもたちのお世話をしなければならない。
いや、もうちょっといさせてください!
と、水曜日までお願いすることになりました(^^;
手術からちょうど1週間で退院、ということになりました。
手術しての心境は・・・。
意外とすっきりしたことです。
平気な気がしていても、実際に胸がなくなったら、大きな傷ができたら、すごく悲しくなるかもしれないと想像していました。
でも、左胸が無くなって大きな傷があるのが今の私。
それが1つのアイデンティティ!とさえ思えたのです。
やっぱりMock、強いしポジティブだなと改めて思いました!
そして、自分の良いところを認識して自分で褒められるようになったのも、よく成長したもんだなと思います。(笑)
前向き過ぎる!?(笑)
入院中は病院から理学療法士さんによるリハビリ教室がありました。
自由参加ですが、手術の手引きにも記載されているリハビリ内容を実際に一緒にやってもらえるので、よっぽどしんどくて動きたくない人以外は入院中のどこかで受けられるのだと思います。
Mockももちろん参加しました。
そこで、ですよ!
なんと担当の理学療法士さんが高校の同級生だったのです!
しかも、私が次男、彼女が長男くんを産んで産休中に、子育て支援センターのような場所で一度会ったことがありました。
ずっと看護師さんだと思っていたのですが、理学療法士さんでした(^^;
コロナ禍で家族も面会に来れず、大病で手術なんて時に知り合いが病院にいてくれると思うととても心強かったです!
その後、入院中は仕事の合間にときどき差し入れを持って病室に顔を出してくれ、時間のある時には少しおしゃべりしたりもしました。
高校時代の話や子育ての話、お互いの夫の愚痴など(笑)、とても楽しい時間でした。
その時に、彼女が
「SUNNY 強い気持ち・強い愛」
という、篠原涼子さん主演の映画をおすすめしてくれました。
高校時代の友人に再開し、ガンで余命幾ばくもないその子のために、主人公が昔の仲間を集めるのに奔走するお話なのですが、高校時代の描写もたくさんで、音楽も私たちの高校時代に流行ったものばかり。
あの頃の青春を思い出して胸がキュッとなるようなとても素敵な映画でした。
退院の日
というわけで、無事に手術を終え、少し病院でゆっくりさせてもらってから退院したのでした。
が、退院の日の朝、バタバタしていると叔母からの電話。
何だろうと出てみると、
「おばあちゃんが亡くなったよ。」
との報告。
母方の祖母で、実家暮らしの間はずっと一緒に暮らしたおばあちゃん。
母が働いていたので赤ちゃんの頃はずっと面倒を見てもらっていたおばあちゃん。
体も弱り認知症になり、母が1人で介護していたのですが。
本当に急な話でびっくりしました。
今から考えると、私の乳がんを持って行ってくれたのかも、とも思えます。
マルチタスクが極端に苦手な母には乳がんのことも、もちろん手術のことも伝えていなかったので、退院して家で喪服を取り、夫とすぐに実家に向かうことになりました。
そして何食わぬ顔で翌日、翌々日のお通夜、お葬式も無事に出席することができました。
やっと会えるのを楽しみにしていた子どもたちには申し訳ないけれど、会うのはまた少し先になってしまいましたが・・・💦
さてその後、日常が戻り、後は通院でホルモン療法の薬「タモキシフェン」を内服するだけの治療になるだろうとホッとしていたのですが、1週間後の診察で予想もしていなかった結果を聞くことになるのです。
それはまた次回!
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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